みちなもの
未知なもの。
先のこと
見えない存在
見えないけどある感覚
誰かの気持ち
自分の気持ち
新しい経験
冒険
知らない場所
知らない人
みち。
まだ経験したことがなくて、分からないこと。
子供の時はそれがいっぱいで、みちなことに対して無防備だったような気がする。
おばけを見たのも、タバコの灰を食べたのも、見よう見まねで木登りをして、足は地面についたのに右腕だけ枝分かれのところに奇妙な形で挟まっていて、力任せに引っこ抜いて骨折したのも、小学校にあがってあだ名というものの存在を初めて知ったときの衝撃も、庭の花で色水を作って研究したのも、全部子供の頃。
分からないからやってみようとか、そう聞いたけどほんまかな?とか、そういうスタンスだったような気がする。
どうなるか分からない恐怖よりも、ワクワクのほうが強かった印象がある。
アバター®コースの第2部の練習をしたとき、そんな子供の時の懐かしい感じが戻ってきた感じがした。
これはなんや?
どうなってる?
わたしって?
ほんまのことってなに?
なにがおこってる?
分かった風を装う必要もなく、みちなものとして興味をもつことができる経験は、他ではないと思う。
経験したら、次は創り出せる。
意識を使っていっぱい遊ぼう(´︶`艸)♡
3がつ17にち(どようび) はれ
3月17日
今回で3回目の週1言語交換の約束をしていたので、きちんと朝起きた。
前日の夜中から気になっていた友達の花屋さんでやってる中国茶のワークショップがあるんやなぁって思ってて、いつかは行きたいと思っていたしいい機会やなぁと思いながら身支度をして、終わる頃にはよし行こうと心が決まっていたので、言語交換を始める前に友達に行ってもいいかの確認LINEをしておいた。
言語交換をしている友達は台湾の学生で、わたしからしたら本当に可愛いでしかない。
彼女の申し出で始まった言語交換は、初めは中国語30分日本語30分の合計1時間の予定だったけれど、緊張がなくなってお互いたくさん話すようになると余裕で1時間1時間の2時間コースになっていて、楽しくってバイバイを言ってるのに、また話し始めちゃうやつになって、終わらんやつやんってなって、また来週ねと言って、中国語と日本語でバイバイする。
今回は、読み方ややこしいよねの話になって、雲と蜘蛛って関東と関西で違うねんでー!って言うて、説明するうちにあれ?一緒か??ってなって、「はし」は確実に違う!!橋と箸は関東も関西やとイントネーションが反対!って話をして、また話してるうちに一瞬迷子になるも、ちゃんと違うということで落ち着いた。
さらに「はし」は3種類あるといって、端も紹介した。
「えー!大変っ」と言うのがまた可愛い。
関西弁の相槌を知りたいと言ってくれたり、関西弁を嫌がらないでいてくれるのが、とても新鮮。
それに、わたしの文法お構い無しのピンインがおかしい中国語もちゃんと言わんとすることを汲み取ろうとしてくれる。
そして可愛い。
どうかその可愛さを惜しみなく全面に押し出して生活して欲しいと切に願う。
至福の言語交換タイムは、「確認するな!来たらいい!」の友達の連絡により、家をでなくては行けなくなり、終了。
約2時間弱のドライブをして、遅刻しながらもwarotoko vaseでの中国茶のワークショップに合流。
何種類も入れてくれて、同じ茶葉でも回数によって味や香りが変化するのもまた楽しく、留学していた頃が懐かしく思い出された。
見ても癒される、草花茶。
爽やかに香る素敵なお茶。
茶葉はなくて、お花だけなので、お茶の味はないけど、本当に華やかで爽やかな香りが抜けていくのを楽しめる。
先生の手作りおかしと共に。
きなこプリンとバナナケーキ。
売り物かと思うくらい美味しかった。
いやぁ、お菓子作れる女子はやばいわ。
最後に簡単な中国語講座があって、北京ダックは北京ダックでいいんやと衝撃を受ける。
北京烤鸭
自分の記憶が確かなら、台湾で習った時は、
北平烤鴨
だったと思う。
台湾の夜市とかでも北京烤鴨の表記は見たことがないと思う。
習った時に、北京じゃないの?って聞いた気がするから、おそらく多分そう。
先生と2人で、お国の事情で使ったらあかんとかあるんかなぁって話してた。
違ってたら後で訂正します|ω・)
すみません。←先に謝っとくスタイル。
ちなみに、warotoko vaseはめちゃくちゃ素敵花屋さん。
前に、友達にプレゼントで持っていきたいってドライフラワーの花束を一緒に作ってくれて、めっちゃ喜んでもらえた!
オンリーワンを作ってくれて、遠くても郵送してくれるサービスもあるから是非(* ॑꒳ ॑* )⋆*
hp↓↓↓
片道2時間弱のドライブで加古川まで行ったので、折角やし会いたいなぁと思ってお花をプレゼントした友達に連絡。
予定があったのを時間を空けてくれて、快くご飯しようと言ってくれた✩°。⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
加古川から姫路へ車を走らせ、合流!!
姫路駅周辺、めっちゃ都会っ!!
田舎者のわたしにしたらとてもちょうどいい都会感!
東京の渋谷とか新宿とかの都会感は、個人的にちょっと勘弁してもらいたくなってくる。
人が多すぎて、ものすごく勇敢な勇者にならないと、駅構内を歩けない。
姫路駅周辺は、過ごしやすい都会感で暮らすにはめちゃくちゃいいと思った。
おいしいパスタを食べながら、話したのは登場することについて。
今の企業の意図だったり、人が生きていく上での意図が、地球や自然環境とは整合してないんじゃないかという話から、
働き方や生き方の既存の設定、テンプレがあって、違うことをすることや考えることが難しいんじゃないか、何か背中を押すことができたら違いそうやけど、どうしたらいいんかなぁという話になり、
それするには、自分が登場する必要があるよね?ってな話になったわけです。
そこからはアバター®ツールの登場。
2人で軽くソートストーム®をして、コアセプトが出て、そのままの流れでウィザードコースのツールを使って、登場することについて邪魔になっている信念をクリーンアップしました。
2人ともすっかり覚醒!!
この辺のことに興味がある方は連絡ください(´︶`艸)♡
約2時間、楽しく有意義な時間を過ごし、解散。
それから2時間弱のドライブを経て、おうちに帰ったら恐ろしいくらいの睡魔に襲われ、そのまま就寝。
やりたいなぁと思っていたけどやれてなかったことをぎゅっと詰め込んだ1日だった。
人間、どこでも行けるしなんでもできるなぁと思うのと、反対に全く何も出来ない時もあることに気づいた翌日。
意識の中で何が起こってるのか見てみよー✩°。⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
意図的に生きること
先日、出勤中の出来事。
「あたしぶーたんなのぉ」
と衝撃的な大きい独り言が聞こえてきて、え?ぶーりん?懐かしっ!と思って声のした方を見ると、ランドセルを背負った女の子の姿が。
夕方の下校の時間で、ちょうど小学校の前だったので、わらわらと学生のみなさまが出てきているところでした。
道路を挟んで聞こえてきた大きな独り言を発した子の隣にもう1人女の子がいて、その子がまた大きな声で「自意識過剰女でーす」と言って、2人でケラケラ笑っています。
おいおい、すごいこと言うな。ラリってんのか?頭大丈夫??と思ったのですが、その声をどうやら前にいる誰かに向かってぶつけているようでした。
彼女らから少し離れて女の子が1人歩いていて、マフラーをしてその中に顔をできるだけ隠すように俯き加減で心持ち早足に歩く姿をすぐに確認できました。
ああ、なるほど。
これは所謂アレか。
もしくはアレか。
頭の片隅に、懐かしのピンクのブタのヒロインが思い出されたまま、遅刻しないように早足で歩きながら、そこで起こっていることについて考えました。
ああいう構図は、その中に入っているかいないかに関わらず、学生時代、社会人としてどこかに所属している時、近所づきあい、家族間etc..
まぁ、端的に言うと、生きて人と関わっている限り起こりうることだし、大体の人が何かしらの立場で遭遇しているのだろうと思います。
さて、わたしもその時、道を挟んで歩く人として、その構図に遭遇しました。
この光景にはとても見覚えがありました。
自分が小学生だった頃です。
ざっと20年以上前のことなのに、目の前で同じことが繰り広げられたのです。
ん?あれ?
おかしくね?
わたしはその子達と、世代も違えば、育ってきた環境も違う、家族構成も違えば、なんならここはわたしが生まれ育った町でもない。
全てが違うのに、そこで繰り広げられた光景はまるで判を押したように同じに感じるくらい、似通っていました。
これって、変じゃないですか?
うん、先にわたしは自分で、
ああいう構図は、その中に入っているかいないかに関わらず、学生時代、社会人としてどこかに所属している時、近所づきあい、家族間etc..
まぁ、端的に言うと、生きて人と関わっている限り起こりうることだし、大体の人が何かしらの立場で遭遇しているのだろうと思います。
と言いました。
なので、他の人がわたしと同じように、あの光景を見れば、見覚えがあるなぁと感じるであろうことは認識しています。
でも、ちょっと考えてみてください。
人間って、学ぶものですよね?
他の人のことをそんな風に虐げたり無視したり攻撃したりしてはいけない。
子供の時に、そう教わりますよね?
じゃあどうして、
そうする人がいて、そうされる人がいて、それを見ている人がいて、それを注意する人がいて、そうしている人を非難する人がいて、そういうことが起こっているのは知っているけど自分には関係ないとしている人がいて、だめ・ぜったいという人がいて、そういうことをしてはいけませんよーという人がいて、そうなんだーと聞く人がいて…
そういう人達の連鎖が延々と繰り返されるのでしょうか。
しかも、それは学生生活の中にとどまらず、同じ人の人生の中にも、別の人の人生の中にも、あらゆる時や環境下でも、同じように見られるような気がするのはどうしてでしょうか。
何かが変だと思ったことはないですか?
そして、その微妙な違和感を、「そういうものだ」と飲み込んではいないですか?
自分が誰かがシナリオを書いたドラマの中にいるように感じることは無いですか?
わたしがここで推奨したいのは、「意図的に生きる」ということです。
そして、それがこのドラマから抜け出すひとつの方法だと思います。
先の彼女たちを例にあげれば、
もしも、
「あたしぶーたんなのぉ」と大声で言う前に、自分で意図的にそうしたい衝動を抑えて、親切さを示すことができたなら。
もしも、
「自意識過剰女でーす」と一緒になって言いたくなる衝動に気づいて、代わりに「やめようよ」という事ができていたなら。
もしも、
後ろから浴びせられる言葉に反応してうつむく代わりに、彼女たちは批判する人たちであって、それは自分がどうであるかに関わらず、そうする人たちであるだけなのだと気づけたら。
自分の中に自動的に起こるように見える様々な反応や、こうしたいわけじゃないのにしてしまう感じ、自分の管理下にはないと思えるような様々な出来事は、もしかしたら少しの勇気をもって意図的に決めて行動することで変えられることなのかもしれません。
そう考えるのはワクワクしませんか?
自分の人生をより良くして、世界をより良くするためにはどうしたらいいか。
意識をコントロールするためのシンプルで使い続けられる道具を手に入れましょう!
アバター®コースをお勧めします。
詳細はこちら↓
そして、興味がある方は、あなたの周りにいるアバターマスターかわたしに是非ともコンタクトをとってみてください。
1時間ほどでできる無料体験コース(遠隔でも可)もありますし、購入できる本もあります。
3/17~25に愛知県豊橋で開催されるアバター®コースに参加することもできます。
意図的に生きる魔法を経験してください。
最後に、
おすすめの練習がこちら。
アバター®コース第1部、リサーフェシング®にある練習のひとつ、慈しみ練習です。
世界に慈しみの量を増やすことができる意図的な練習です。
自分がもっと繋がりたいなと思う人に、
ちょっと苦手かなと思う人に、
大切な家族やパートナーに、
地球外生命体に、
何度でもこの練習をやってみてください。
そして、どんな感じがしたか、どんな経験をしたか、
よかったらシェアしてください。
ここまで読んでくれてありがとうございました!
あなたの全ての瞬間が素晴らしい瞬間でありますように。
※この記事の内容は私自身のものであり、必ずしもSEIの立場や、戦略、意見を代弁するものではありません。
生きているということ
「もうやる薬がないからせぇへんのよ」
「そうなんやねぇ」
少し早い春のポカポカした陽気を軒先に感じる午後。
窓から入る柔らかな風とあたたかな太陽の光を感じながら、マッサージをさせてもらっているとき、おばちゃんとそんな会話をかわしました。
おばちゃんは、わたしが母のお腹の中にいる時から、ずっとお隣さんで、わたしからすれば祖父の弟のお嫁さんという繋がりです。
数年前にガンが見つかり、あちこちに転移している状態らしく、病院に通いながらの抗がん剤治療を続けていました。
去年の秋、マッサージのモデルになって欲しいと話して、二つ返事で受けてくれたとき、ちょうど投薬期間中でした。
身体に触れた瞬間、本当にちょっとでも圧をかけたら壊れてしまう厚さ数ミリのガラス細工に触れているような感覚で、とてもショックを受けました。
彼女自身が、病気のことや治療のこと、それにまつわる不安など全く感じさせないので、わたしもそこにはあまり触れることなく、身体を触って感じることを話したり、昔の思い出話をしたりしながら、1時間半はあっという間に過ぎました。
それからしばらくして、実家に帰ることがあったので、家の玄関の前で祖父と話していたとき、おばちゃんがやってきて、「おまえに助けられたんよー」と言います。
何の話かと思って聞くと、マッサージしたときに、どうもわたしが腎臓の働きがよくないような感じがすると話したらしく、お水を意識的に飲むようにと言ったそうなのです。
次に病院に行った時、使っている薬がきつかったことが判明して、変えてもらってからは身体が楽になったというのです。
言った本人は、その時感じたことを話してるだけなので、なんと言ったかまでは覚えていなかったのですが、おばちゃんの身体を触ったあと、やたらと口や喉の渇きを感じたのは覚えていました。
その時から、薬の投与が終わる期間に合わせて、マッサージをお願いしてくれるようになって、今回が4回目。
次の薬の投与がいつ行われるのかに対する返事が、冒頭の言葉でした。
その言葉は、相変わらず淡々としていて、身体を触っている分には、初めて触れたときのガラス細工のような危うさもなく、身体自体は楽なんだろうなという感じがしていたので、次の言葉がなければ不安に気づけないところでした。
「でも、やっぱり数値は上がってるんやて」
春の、初夏を思わせるようなあたたかな陽射しの中、のんびりとゆったりと、時にわたしが小さい頃に、はたまたおばちゃんが昔乗った北海道から大阪までの寝台列車のレストランの中に、時間旅行をしながらのマッサージは、気付いたら2時間を超えていました。
今、生きているということ。
この瞬間を、自分自身として目の前の人と共有しているということは、本当に奇跡だなと感じます。
その奇跡の瞬間に、
目の前の人と、今どんな話をしたいだろうか。
その奇跡を経験している瞬間に、
何を選択し、どうしたいだろうか。
自分にできる、最善のこととは何か。
普段の生活では、反応的に出てくる感情やアイデンティティのドラマの只中にすぐ入っていってしまうこれらの質問を決して忘れないように。
わたしは、一人じゃないことに本当に感謝しています。
あなたがいてくれることが、最高の贈り物です。
読んでくれてありがとうございます。
ごあいさつ
昨日、虹がでてました♡
どうも。
ブログ、はじめました。
はじめの一歩を大事にせねばと悩みすぎて踏み出せない状態で何日も経ってしまったので、もうあまり考えないではじめちゃうことにしました。
自分の名前にもかかっている、ゆいまーるという言葉をブログタイトルにすることにしました。
子供の頃、ポンキッキーズで流れていたあの曲で、弄られたりもしましたが、ブログをはじめよう!書きたいこと書こう!と思った時に、それを思い出したわけです。
そして、言葉の意味もいいね!と思ったわけです。
知りたい方はググるかHey Siriと話しかけるか、沖縄の友達に聞きましょう。
私も後で沖縄の友達に聞くことにします。
さて、このブログは、色んな事書けたらいいなと思ってます。
自分を構成する様々な要素が、どんなふうに共同体としての世界に関わっていけるのか、ワクワクしながら。
誰かの希望への道に進むための後押しになったらいいなと思いながら。
書きたいことを書きたいように書いていこうと思います(* ॑꒳ ॑* )⋆*